佐藤整形外科の沿革
医師としての誓い
「全ての患者さんのために、地域に根差した医療を提供し続ける」
診療中の院長 佐藤裕章
「地域医療に貢献したい」「人々にやさしくありたい」。上位の理念は開業した際に医師として胸に刻んだ誓い、そして、代々受け継がれてきた地域とのつながりを途切れさせてならないとの思いを込めた誓いの言葉です。
前身は90年前に開業した歯科医院
初代佐藤歯科医院の外観
佐藤整形外科の歴史は1926(昭和元年)年、佐藤裕章の祖父、佐藤徳三郎が「地域医療への貢献」を目指し、当地に開業した佐藤歯科医院に始まります。

佐藤徳三郎マジック風景
佐藤徳三郎は趣味の手品も玄人はだしで、来院する患者さんたちの緊張をほぐそうと、診察の合間に技を披露しては拍手喝采を浴びました。 浅草で活躍した有名芸能人の来院も多く、83歳での葬儀では、表通りまで数百メートルにわたり、道の両側に花輪が並んだと語り継がれています。

第二代院長 佐藤 章と外観
佐藤徳三郎の跡を継いだ長男の佐藤章も、患者さんにやさしい「町の歯医者さん」と親しまれ、また、手先の器用さから「入れ歯づくりの名人」としての評価も高く、その評判を伝え聞いて、遠方からの来院も多くありました。

整形外科医院としての新たな歩み
地域とのつながりを大切にする思いは、佐藤章の長男、佐藤裕章に受け継がれ、1994(平成6年)、新たに佐藤整形外科としての歩みが始まります。
佐藤裕章が医師を志したのは、高齢化の進展が予測される地元において、より幅広く、地域の人々の健康のために尽くしたいとの思いからでした。
開業前、山梨県や茨城県で閉院の危機にあった医療機関の再建を託され、成功へと導くなかで、 「患者さんの心に寄り添う精神の大切さ」を身をもって知った佐藤裕章は、地元での医療においても、その精神を徹底して実践する日々を最後まで続けました。
新生「佐藤整形外科」スタート
前院長が誓いの言葉に託した地域医療への思い。 その思いに共感したのが、前院長と同様、それまで地域に密着した医療活動に携わってきた現院長でした。従来の整形外科、理学療法士、柔道整復師によるリハビリテーション科のほか、専門性を活かすため、リウマチ科も加え、新たにスタートを切りました。また、診療時間外でのリハビリ自費診療も開始しております。
代は替わっても、「地域医療に貢献したい」「人々にやさしくありたい」という医師としての心の有り様は、佐藤整形外科の歴史に脈々と受け継がれています。
通ってこられる患者さんの中には、「先々代のころから診てもらっている」という方も多く、「初代のころから」というご高齢の患者さんもいます。 また、親・子・孫へと、家族が何代にもわたって通ってこられる患者さんも多く見られます。
患者さんの立場に立ったわかりやすい説明と心に寄り添う親身な医療。
それが佐藤整形外科のDNAであり、現院長が医師としてもっとも大切にしているものでもあります。
地域の方の健康増進、更なる日常の幸せのために、専門性や特技を活かして「望まれている事は何か」「地域に貢献できる事は何か」を常に考え実践していきます。
今後も地域から信頼され、安心してかかれる医療機関となれますよう努めて参ります。